2016年08月09日

大学を出て

「ずうっと銀行で働いてきたじゃないですか。第一線のキャリア志向で、もうイケイケで。男も女も関係ないだろって。仕事先には当然外資も多くて、モノの考えも微妙にズレてきて。よく言えばグローバル。はっきり言えば自分のコトをまずは考える。いつも自分をアピールして、そして他者に対して正当化する。正しい者が勝つんじゃなくて、勝った者が正しいという考え。ACEにきてあっさりと気づきました。あまりにも稚拙すぎるその過ちに。あまりにも身勝手なその生き方に(Vol.29,pp104-105)」
今日子が後藤にステンレスの部材で削り出しのリングをリクエストした際、彼女が銀行からACEに移籍してから感じたことを語るシーン。日本と海外を比較する際によく用いられるキーワード、個人主義vs集団主義。実際にはステレオタイプで比較することなんてできないのだけれども、確かに相対的にはそのような傾向があるかもしれない。1つ言えることは、個性を大事にするindividualism(個人主義)と身勝手なegocentrism(自己中心主義)とは似て非なる概念であるということ。また、集団主義という大義名分の下で、個人主義が過度に抑圧されてしまってはいけないということ。

P.S. ずいぶんと久しぶりに投稿してみました。たまに覗いて下さっている当ブログファンの方々には申し訳なく思っておりますが、これからもこんなペースで気が向いたら更新させて頂きます。
posted by アキオ at 11:03| 神奈川 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月09日

親友が

 一年ちょっと前に亡くなってしまいました。そして、その一年後を少し経って、実の弟を亡くしてしまいました。
 今回は、湾岸ミッドナイトの言説ではありませんが、しかし、親友が愛して止まなかった現代ポップアートの巨匠、アンディ・ウォーホルの言説を多少加工して紹介させて下さい。

 時が変えてくれると人は言うけれど、実は自分で変えなければならない。何年も同じような問題で惨めになっている人もいるけど、「だからどうなの」と言えばいいのよね。
 ぼくの好きな台詞、だからどうなの?

「両親に愛されなかった」 だからどうなの?

「親友に裏切られた」 だからどうなの?

「出世したけど孤独なんだ」 だからどうなの?

 ぼくはこのことがわかるまで、どれぐらいの思いをして生きてきたことか。ずいぶん長いことかかったけど、一旦納得するともう忘れない。
 幸せであろうとすればできるのに、わざわざ悲しい時間を引きずって生きるというのはなぜだろう・・・。


 そのわけは何なんでしょうね?
 いくばくか熟考してみたいと思います。
posted by アキオ at 02:19| ☀| Comment(3) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月22日

その帰りカメラマンが言った

「お前は看板の意味がわかってない。…中略…みんながお前の動きを気にする。それはお前が"GTカーズ"を背負ってるからだ。お前の声は"GTカーズ"の声。皆を見て話せ。大きな声でお前から笑え。それ以来、オレはどんな時でも現場で遠慮するのはヤメた。ブランドという言い方がある。オレにとってブランドとは時計や高級車などではなく、"GTカーズ"としてRGOだ。走る時はその看板を背負っている。たかがステッカーでは済まされない(Vol.1,pp31-34)」
 荻島が社会人として駆け出しの頃、自己のキャリアを懐古的に振り返るシーン。人には、その人自身が保有する個人人格と、そこに付帯する組織人格とが存在する。組織の看板(ブランド)を背負うとはすなわち、組織の代表として看板(ブランド)に責任を負うことことである。反対に、看板(ブランド)が高名な場合、その力を個人の能力として人は見誤る傾向にある。

 周知の通り、「湾岸ミッドナイト」が「C1ランナー」としてリスタートしました。首都高全般を広く戦闘領域としていた前作から、主に首都高環状線をテリトリーする走り屋達の生き様にフォーカスしたストーリー展開になったようです。
 前作同様、このシリーズにおける登場人物の示唆に富む言説を随時紹介して行く予定です。毎度ながら更新頻度は著しく遅いですが、気が向いたら閲覧して下さっている皆様におかれましては、あたたかく見守って頂ければ幸いです。
posted by アキオ at 16:09| ☔| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月18日

自分は基本的に

「不良という人間を信用しないんです。見てくれはイキがよくても結局自己保身で、イザという時足を引っぱるから。そして優等生もまた信用しません。気を許すとすぐに出し抜こうとしますからね。…中略…地獄のチューナー北見淳は、不良ではなく不良性を持つチューナーなんです。北見さんのその仕事を初めて見た時、自分は本当に息が止まりそうでした。その美しさは工業製品を超え、本当にアートだと思いました。正当に評価されるべきだと自分は言いました。その時北見さんが言ったんです。たくさんの人間に認められれば、それが正当なのか・・と。…中略…見てくれでなく、心の奥にあるもの。認められるコトをドコかで拒否し、でもその姿勢はイジけてはいない。チューニングの本質は違法性だとわかっている。わかっていて飲み込めるその強さ。その強さが心の奥の不良性なんです(Vol.42,pp102-109)」
 いよいよ荻島がブラックバードやアキオとの首都高バトルにのぞむ直前、首都高ランナーとしての荻島の潜在力を高木が評価するシーン。
 異端者の強さは、周囲と異なった行為自体にあるのではなく、行為を下支えする信念にある。異端は時として周囲から蔑まされたり忌避されたりする存在だが、そうした存在こそがイノベーションを世の中にもたらしてくれる。
posted by アキオ at 22:58| ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

いつも心に言葉が

「追いつかないカンジでしたね。感情をコントールしなければツブれてしまう。考えて考えて出した答えが“人とカラむのを極力さける”しかなくて。…中略…たとえばあなたたちチューナーという人種も、言葉では伝えきれないモノを技術に託しているわけでしょう。響くんですよ、そういう感覚の人は(Vol.42,pp42-43)」
 普段クールで寡黙なブラックバードが、実は情熱的でウェットな人間関係を欲する内面の持ち主であることをリカコが指摘するシーン。
 巧みに言葉を操り良好な人間関係を保持できる人と、気持ちばかりが先行し不器用な表現方法しか持ち合わせない人もいる。周知の通りPerson(人)の語源はPersona(仮面)だが、いくつかの表面的な仮面を持ちながら、実体としてのPersonality(個性)を内包している。
posted by アキオ at 22:33| ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

かえたいコトと

「かえられないコトがある。かえられるコトはかえてゆく。それが努力であり進化だ。では、かえられないコトは…?それは認めるしかない。それがかえられないコトならば認めるしかない。認めればその先の答えは出てくる。かえられるコトと、かえられないコト。アキオは走りの中で、それを学んでいったんだろう。かえられるコトとかえられないコト、その二つを見極めるのは自分だけ(Vol.42,pp12-13)」
 荻島がインジェクションではなく、あえてキャブにこだわるアキオの姿勢について吉田に尋ねると、吉田が変えることで、それ自体が本体の価値が失われてしまうことを説いたシーン。
 世の中には、変わっていかなければならないものと、変えてはならないものがあるのだろう。
posted by アキオ at 21:55| ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月20日

911系はできそこないだ

「ターボモデルはさらにな。アメリカではポルシェターボをウィドーメーカーと言うんだよ。つまり“未亡人づくり”て意味だ。それほど危険な車と認知されている。でもあの車はすごく愛されている。それはあの車が“何か”を与えてくれるからだ。いつでもドコでも誰でも乗れる。911はそんな都合のいい車じゃない。4WDがつきATがついても、やはり911は面倒くさい車だ。…中略…リーズナブルで乗りやすくてカッコ良くてそして速い。都合のいい関係はつまりいいトコ取りだ。そんなモノは何も与えてくれない。それどころか逆に何かを取られる。人間もそうだろ。都合のいい関係から得られるモノはない。面倒くさい奴からしか、大事なモノは得られない(Vol.41,pp12-15)」
 荻島がブラックバードのポルシェを試乗して、そのチューンドのレベルに圧巻しながら、かつて米国でポルシェチューナーとして名を馳せた吉井に、ポルシェの神髄を尋ねるシーン。
 人は世界観のことなる他者とは極力かかわりを持ちたがらないものだ。しかし、逆説的には価値観が同じ人とばかり付き合っていると、同質化が助長され、結果として多様な視点で物事を考えられなくなる。敢えて異質な他者とかかわることが、実は自分にとって有益なのだ。
posted by アキオ at 23:52| ☔| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

そう勇気をくれる

「あのZはただいるだけでオレに勇気をくれるんだよ。…中略…たとえば才能にあふれた野球選手がいる。その選手が認められてメジャーリーグに移籍する。彼は活躍し膨大な報酬を得る。それを面白くないと思う奴もいれば、励まされる奴もいる。つまりそーゆうことなんだよ。会ったコトもなければ、話したコトもない。でも彼の頑張る姿に自分も元気が出る。それは芸術でもいいし、音楽でもいい。もっと言えば人間じゃなくモノでもいい。見ているのは偶像だ。形があって実は形などないモノだ。ただいる、それだけであのZはオレに勇気をくれる。結果としてあれ以上のEgは組めなくても負い目などない。それがお前との違いだ。(Zは形のないモノですか?)そうだ、いるけど実はいない。速さの偶像。絶対的な対象としてオレは思っている。そしてそれを追う」(Vol.41,pp4-6)」
 Zのボディ制作に携わった時が自分の技術の頂点だとネガティブに捉える高木に対して、北見が違う見解を主張するシーン。対象化とは、有形無形にかかわらず、自己の内面から客観化され意味づけされたものである。北見はいったん対象化された悪魔のZを自己省察することで、自らのアイデンティティを形成している。孤高のルシファーは、実は北見そのものかもしれない。
posted by アキオ at 23:31| ☔| Comment(3) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

明けの明星?

レイナ「ああ、ルシファーだよね、たしか…。ルシファーは神に最も愛された天使。だけどある日神に反逆して天から堕ちる。堕天使はその名を悪魔と変える。明けの明星は“悪魔のZ”とカブる?」
アキオ「そーゆうわけじゃないけど…。でも面白い話だと思ってさ、それ。星なんか全然興味ないけど、あの星はずっと前から好きなんだよ。朝方まで走ってて、ふと視線を感じてふり向いた時に必ずいる。他の星の光がうすくなる中、あの星は光を増して、まるで位置確認みたいに出ている。自分が今、何をしてドコにいるか教えるように。…中略…あのZがなんで“悪魔のZ”と呼ばれたのか、いつも考えてた。それが最近なんとなくわかりかけた気がする。明けの明星は強い光を持つ“反逆の星”であり、そして漆黒の海で東の空に輝く“希望の星”、本当にそーゆう意味だったのかもしれない」(Vol.40,pp203-206)
 自分が渡米する決意表明をしようと、レイナがアキオのバイト先を訪れた時にアキオが語るシーン。普通の星(人)とは真逆の方向で輝く孤高の星(人)、ルシファー。物事にはすべて二面性が備わっているが、悪魔のZにもその両義性が含意されていたことに気づくアキオ。
posted by アキオ at 22:36| ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月21日

自分の言葉で話している

「今日初めてM3CSLに乗り、今日感じたコトを話している。…中略…誰かが言ったコトや、何かの本から拾ってきたコトで話していない。オレはどうだ…。拾った言葉を自分のように話していないか…。ヤバイ気がする。…中略…拾ったような言葉しか出ない。いちばんなりたくなかった奴に、オレはなっている(Vol.40,pp126-129)」
 非力なマシーンでありながら、ニュルのコースで8分を切るBMWのM3CSL。このバランスのとれたマシーンを試乗したアキオのインプレッションに聞き入りながら、長年首都高ランナーとして走り続けてきた経験に裏づけられる言葉と比べ、経験値の低い薄っぺらい自分の言葉に失望する荻島。
 本からの引用や他人から聞いた言葉。これらの知識に自らの経験が備わらないと、浮ついた言葉にしかならない。重みのある深い言葉は、経験を通じて自分の言葉へと変換されることで初めて、醸し出されるもの。
posted by アキオ at 00:10| ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする